現行テレビ方式の画質改善をめざして --- 多次元信号処理の一応用 --- 吉田 俊之,西原 明法,藤井 信生 (カラー) このマークが何を意味するか,今の学生の皆さんは多分おわかりにな らないでしょう.カラー放送が始まった昭和40年前半の新聞のテレビ欄では,カ ラー番組にはこのようなマークが付けられていました.ハイビジョン等の次世代 放送が立ち上がりつつある現在からは想像できないかもしれません. 我国の現行テレビジョン規格であるNTSC規格は,およそ50年前にモノクロ放送と してスタートし,その後昭和40年頃にカラー化され現在に至っています.カラー 化の際には,モノクロ受像機であってもカラー放送を(もちろんモノクロとして) 受像できるように,「周波数多重化」と呼ばれる工夫が凝らされました.しかし, この巧妙な「周波数多重化」も,今となっては映像の精細度を著しく劣化させる 元凶となっていることは,本当に皮肉なことです. よく知られているようにカラー映像は光の3原色であるRGBの3枚の画像により表 現できるため,NTSC信号ではこのRGBの3信号をモノクロ画像そのものである輝度 信号Yと色成分を表す色信号Cに変換して伝送します.受信側では,モノクロTVで あればY信号のみを取り出して表示すればよく,カラーTVではYの他にCも取り出 し原RGB信号を再生すれば映像が得られるという訳です.ここで,YとCが``混じ らない''ように伝送しようとするのが周波数多重化です.NTSC規格では,525本 の走査線からなる毎秒30枚のフレーム画像を図1に示すように約4.2[MHz]の周波 数帯域で伝送しています.人間の視覚特性は色成分に対しては輝度成分ほど敏感 でないため,色信号Cの帯域を狭め,3.58[MHz]の色副搬送波で変調してY信号に 多重化します.ここで,TV信号のスペクトルをより詳細に眺めると,走査により 画像を表示するという特性上,Y,C信号とも走査線の繰り返し周波数である 15.75[KHz](=525×30)毎にピークをもつ構造となります.そこで,実際には色 副搬送波周波数を巧妙に選び,図1の部分拡大図に示すようにYとCを互いの谷に 配置することで,両者が``混じらない''ように多重化しています.しかし,図1 から解るようにYとCの完全な分離は不可能で,一定の``混じり''が生じます.こ れが後述するNTSC規格における最大の画像妨害に繋がる訳です. 図1:NTSC信号の周波数スペクトル 一方,本来TV信号は水平--垂直--時間の3方向を持つ3次元信号であるため,これ を3次元的に解釈することにより,より精密な取り扱いが可能となります.図 2(a)は図1のNTSC信号の3次元スペクトル構造を示しており,クロスハッチ部分が C信号の存在領域,それ以外がY信号の存在領域にあたります.図1では1次元周波 数軸上に分散していたC信号も,3次元的に見るとある「塊」を形成することが解 ります.したがって,この領域をそっくり取り出すことができれば前述の``混ざ り''の少ない分離が可能で,輝度Yと色Cの分離処理に用いられるこのようなフィ ルタは「YC分離フィルタ」と呼ばれています. 図2(b)--(d)は現在用いられている種々のYC分離フィルタのC分離特性を示してい ます. (a) 3次元スペクトル (b) 1次元YC分離 (c) 2次元YC分離 (d) 2次元YC分離 図2:3次元スペクトルと種々のYC分離 (b)は最も単純な1次元処理によるもので,図1の約3MHz以上の領域を全てC信号と みなして分離します.処理が簡単なため,ひと昔の前の受像機では主流でしたが, 図より明らかなようにYの高周波部分もCとして分離するため,細かい縞のある絵 柄では本来色が着いていない部分が色着いて見える,いわゆる``クロスカラー'' 現象が頻繁に見られます.例えば,アナウンサーの細かい絵柄のネクタイが七色 に見える現象がこれに当たります.(c)は最近では標準的に用いられるようになっ た2次元処理に対応するフィルタで,``櫛形フィルタ''として知られています. (b)に比べて(a)のスペクトルに近いため,クロスカラーは幾分抑圧可能ですが, 逆にCとして取りこぼした部分がYに入り込んで妨害を与える``ドットクロール'' と呼ばれる現象が垂直方向に発生します.これは,色相が変わるエッジ部分に細 かな点が這うように見られる妨害です. 最近では``3次元処理''と銘打つYC分離方式を採用したTV,VTRなどが登場してい るのをご存知の方も多いと思います.これは,今までの水平--垂直だけでなく時 間周波数方向の処理も取り入れたもので,処理に過去何枚かのフレーム画像を必 要とする,大容量の安価なフレームメモリが使用可能になったことにより実用化 された方式です.現行の3次元YC分離方式は,具体的には図2(c)と(d)のフィルタ を信号スペクトルにより適応的に切替える方式で,2次元に比べ種々の妨害の改 善効果は大きいのですが,(a)の理想特性と比べるとやはり程遠いというのが実 状です. 一方,著者らは以前より信号処理の一分野である多次元信号処理についての研究 を行なっており,特に多次元フィルタの理論を用いることによって図2(a)の特性 を有する良好なYC分離フィルタが設計可能ではないかと考え,数年前にTV信号処 理の研究を始めました.図3はこのようにして設計した3次元YC分離フィルタの特 性の一例で,研究の結果比較的少ないハードウェアで実現できることが判りまし た.そこで,学部4年生の卒業研究のテーマとして取り上げ,実際にICを数百個 使って図3の特性のフィルタを実現してみました.担当した卒研生は,半田ゴテ を握り回路図やICのピン配置とのにらめっこの毎日でしたが,努力の甲斐あって 図3のフィルタは今までになくクロスカラーの少ない良好な特性であることが明 らかになりました. 図3:設計した3次元YC分離フィルタの通過域 その後,あるメーカーの方に興味を持って頂き,本フィルタの欠点であるドット クロール妨害を軽減する対策を施した上で実用化され,現在TVやVTR等に使用さ れています.表紙の図は実用化された提案方式と従来方式による処理結果で,提 案方式ではクロスカラー妨害が大きく抑圧され美しい画像が得られていることが 解ります. 間もなく21世紀を迎え,従来のNTSC規格に加え,ハイビジョン等の次世代放送メ ディアが続々と実用化されていくと考えられます.我々は,多次元信号処理理論 を基に,このような分野に貢献できるよう研究を続けていく予定です. (工学部助教授・教授)